BIANCHI, A LONESOME ROADRACER

At shirabu-touge illustrated by Tada 小6のとき自転車(5速)を買ってもらい、高3までの7年間乗りつづけた。 体力にはまるっきり自信の無かった自分が人並みになれたのは、自転車のおかげである・・と思っている。 (とは言っても、脚力だけね。腕力はダメ)

学生の時、バイトしてミヤタの輪行車(10速)を購入。これは、ほぼ10年間乗った。
甲州街道(東京)の空気はひどかったが、井の頭通りはわりと好きだった。市川(千葉)-秋葉原、同-津田沼 間も何回走ったことだろうか。
電卓の「+」キーのスイッチからリード線を引き、リムに磁石、フレームにリードリレーを取り付け、走行距離計にしてみたこともあった。当時の電卓は演算速度が遅く、スピードを出しすぎると計算不能になったりしてたなぁ(^_^)。

東京時代には、猪苗代湖までは電車、そこで組み立て、白布峠を越えて能代まで走って帰ってきたことも。
この自転車はしかし、某年5月、勤務先の自転車置場で盗難にあってしまい、二度と帰ってくることはなかった。

以降、友人から譲ってもらった中古部品の寄せ集め車に乗っていたが、NHK-BSで ツール・ド・フランスの放送を見てしまい、そして・・・

8/13 注文していたロードレーサが来た。

BIANCHI・・イタリア製だが、部品のほとんどは日本製(シマノ)である。
2km歩いて取りに行った。自転車を買うのは十ん年ぶりか?
それにしても軽い。あまりの軽さにハンドルがふらついてうまく乗れない

フレームはクロモリ(クロム・モリブデン)。いまじゃカーボン・ファイバやらチタンやらオールアルミのものがあるが、さすがに高価である。
TVではブレーキとシフトレバーが一体型になってるパーツやペダルがシューズと一体型になるようなものをびっくらしつつ観たが、結局、従来タイプに落ち着いた。

8/14 仕事の帰りに遠回りをすることにした。

港から火力発電所、新国道を経て中和通りというルート(約14km)だ。
快調である。が、海詠坂まで来てとたんにペースダウン。お腹の「お肉」が邪魔をして脚が上がってくれないのだ。苦しいよお。
考えてみると、二十歳の頃と比べてロードレーサ1台分弱は自重が増えてしまっているのだ。実に恐ろしいことである。(^^;)

8/15 仕事終って飯喰ってから、国道101を北へ向う。

鹿の浦展望台で水をいっぱい(一杯ではない)飲んで滝の間の青少年の家で国道を降りUターンという往復50んkmのルート・・・なのだが、
なんと!帰りに目名潟まで来て突如 「プシューーーッ!
パンクである。スペアタイヤなどはない。無線機もなし。最悪。

家までは、あと13kmと見積る。普通、13kmというと歩いて何時間?
歩行速度が時速6〜7kmとすると、まあ、2時間位かかる勘定だ
誰か知ってるヤツがバン・タイプの車で通りかからんかなー・・・と思いつつトボトボ歩き出す。

・・・結局、仮定は証明された・・・

沢目駅に自転車を置いて五能線を使い、家から自動車で沢目に戻り、自転車をバラして収納・・という手もあったのだが、めんどいのでやめた。
「めんどい」というのは個人個人で考え方が違うと思うが、私の場合はこうなってしまうのである。楽するための自転車でもないし。

8/16 午前中に自転車屋に出向き、スペアタイヤを買う。

ロードレーサは、チューブラタイヤを使用するため、裏の糸をほどいてチューブを出してという具合にパンク修理自体かなり複雑である。
また、タイヤ自体がかなり細いためパンクもしやすく、したがってスペアタイヤを装備するのは常識となっているのだが、はっきりいって知らなかったのだ。
以前のランドナはW/Oタイヤだったので、修理も自前でなんとかなったのだが、チューブラはその場で修理という訳にはいかないのですねぇー。

で、パンクしたタイヤだが、いきなりのパンクだったので新品と無料交換してもらった。
飯喰ってから、今度は森岳方面へ向う。往復40kmというコースだが、こちらの方はアップダウンが多くあり、八森行よりもキツイ。
相染森で早くもアクエ*アス。昨日とは違い、ピーカンである。暑い。

山本町中央公民館でまたまた水をガバガバ飲んでしまう。
ここから温泉方面へ向う。実は石倉山に行きたかったのだが、道がよくわからない。とにかく、「なんたらヘルスセンタ」まではたどりつく。
かなり登ったようなかんじだったが、まだ上があるようなのでおそらくこの上が石倉山であろう。体力と時間を計算し、ここまでにして帰途についた。

8/17 脚痛でーーー。いででゃーー。わんわん。

8/30 高校時代からやってみたいと思っていた「自転車による大潟村一周」をついに実行。

前日の夜更かしがひびいて、決行は昼飯喰って一服してからとなった。
15時01分 0km 自宅を出発。
出発前に道路地図をざっと見て全行程は約80kmと見積もった。これなら、平均20km/時で走れば4 時間後の19時には帰宅できるはずである。

15時35分 13km 八竜町大曲で小休止。
ア*エリ*ス飲んで八郎潟。左折して東部農道を走る。

17時05分 45km 中央排水路の水門(?)脇のドライブインで小休止。

またもア**リアス 。水筒持ってくりゃよかった。
ここでちょいと道を間違えて県道42号を走ってしまうが、3.5Kほど走って西部農道へ。

17時55分 67km 再び東部農道との分かれ道へ出る。これで大潟村一周(約52km)は終了。

18時36分 82km 無事に帰宅
小休止を何分とったか定かでないので、厳密な平均時速は出せないが、小休止を含んだ平均時速は約23km/時。
ロードレーサじゃなく、ランドナの速度である。(^^;)
高3の時に友人と秋田市まで走ったことがあったが、確か往きは3時間。帰りは3時間弱だったと思う。
自転車自体が全然違うのだが、まあ、ほぼ同じレベルなので、良しとしてしまおう(^_^)。

さすがに疲れてしまい、風呂にも入らず20時30分にはもう就寝。
04時20分頃、ごそごそと起きて風呂に入る。脚は全く痛くないが、ケツがいてえなぁ。さすがに、3時間半も自転車乗るのはヤバイ。2時間半位でかなり痛くなってきてたからな。で、風呂上がって寝なおし。

二十歳の時には282km(蔵王〜能代)を17時間27分かかって走ったこともあったっけ。はたして、今できるか?・・と、問われれば、「サドルとケツの関係」さえクリアできれば可能である・・と、いうことになろうか?(^_^)


1997 06月某日 喜久水トンネル(鶴形)からの帰還途中に扇田字三丁樋付近で転倒

体が前のめりに一回転した。おぉ、神の光が・・・。
前輪は外れ、フォークも曲がり、おまけに後輪はパンクした。


1999 06月某日 2年前の転倒で再起不能と思われた Bianchi だったが、資金投入で 復活

実は、献血に行ったら「ALT値が高いのでおひきとりください」ということで、かなりのショックを受けてしまったのである。で、これはいわゆる「脂肪肝」であろうと、心を入れ替えて有酸素運動をしようと決意したのであった。
以来、間食を減らし、お飲物は水かお茶、休みの日には自転車で走る・・というのを続けている。一応、1999.1月の健診時よりも体脂肪率、BMI、肥満度ともに減少しているが・・ ALTは いかに!?

1999 11月某日 10月に受けた健診の結果が出た。ALTは無事 正常値に復帰

「休日には30分以上自転車で走る」というのは、運動不足解消とまでは いかないが、わりと有効であることが確認された。でも、せめて週3日走れたら・・。


2000 04月某日 桜を観に行こうと公園前の坂を登っていたら、なんと、チェーンが切れた

切れるものだったのね、チェーンって。
そういや、なんか変な音してたもんなぁ。ゴリゴリという感触には要注意。

最近は、自宅〜能代港〜火力発電所〜風の松原〜萩の台〜能代公園〜柳町〜たっぺの坂〜自宅 (または、火力発電所〜海詠坂〜R7バイパス〜Booksがりばぁ〜商業高校〜中和通り〜自宅) という ほぼ40分のルート(14〜15km) を 好んで走っている。

2000 08月某日 八森の風力発電のプロペラを観に行く。往復40km、2時間のルート

鹿の浦展望台の水は、モロ ぬるかった。初めて Diet Cokeなるものを飲む。これで 0kcalとは。
しかし、1時間以上自転車乗ってると、やはりケツが痛くなる。

2000 08月某+1日 東雲開拓〜国見〜常盤〜朴瀬〜工業団地〜R7〜Booksがりばぁ〜

新ルートを開拓しようと、東雲開拓に向かう。約29Km。まあ、1時間半 かな、と、思ったら、そうは問屋が卸してくれなかった。東雲開拓ってのは、台地で、標高が50mを超えるポイントがあるのだ。
下の図は、ルートの標高を表わしたグラフである。開拓六区までは、ほぼひたすら登り。ただし、キツくはない。

標高グラフ

キツイのは、久喜沢字国見を過ぎた後の坂である。ここさえクリアすれば、あとは距離だけだ。
結局、2時間かかってしまった。(ついでに、風の松原ルートの標高グラフも載せてみた)



2001 07月28日 自転車泥棒

仕事場前に停めていたBIANCHIが盗まれた。
20:00に警備員が一旦帰り、20:10に用事で外に出たときは、ちゃんとあった。22:00から警備員が復帰(そういう契約になっていたのである)。23:00に仕事が終わり、再び外に出たときには消えていた。
このとこから、20:10から22:00の間に盗難にあった可能性が高いといえる。まあ、仕事が忙しくてカギをかけていなかった自分も悪いのだが、盗んだ奴が一番悪い。

午前2時頃まで探し回ったが、見つからなかった。翌29日(ツール・ド・フランスの最終日)も仕事でヒマが無く、30日になって警察に届けたのである。

「あのー、実は自転車を盗まれまして・・」
「自転車ですか・・防犯登録・・してない・・車体番号は?」
「ひえぇぇ・・なんも知りまへん」
「それじゃあ、ちょっとねぇ・・」
「いや、この辺じゃちょっと見ないようなイタリアもんのロードレーサで・・・」

そこに落としもの・拾いもの係のお兄さんがやって来て
BIANCHI

「ちょちょっと待ってくださいよ。その自転車、ありますよ」
「えええええええええええええぇぇぇーーーーっ!? ほ、ほんとですかああっ」
「たぶん、間違いないでしょう。お話聞いてましたが、特徴が全部一緒ですから」

細かいことは省略するけど、とにかく、そーいうわけで無事BIANCHIは見つかったのである。約1km先の路上に放置されていたのを警邏中のお巡りさんが発見したらしい。

カギがかかっていないからといって、他人の自転車を無断で乗り回し、路上放置するのはやめましょう。



2003 07月27日 ツール・ド・フランス最終日

今年は、ヤン・ウルリッヒが Team BIANCHI で走ったが、2位(またかよ)だった。

優勝は 確か5連覇のランス・アームストロング。スゴイ。来年優勝すれば前人未踏の6連覇だが・・

2003 08月27日 大潟村一周 2

空は快晴。気温29℃。11年ぶりに大潟村一周をやった。(1回目=1992年)
今回の路程は 84.8kmである。時速20kmで走れば、4時間14分後に帰宅できるはず。

13時30分、自宅を出発。八郎潟までは快調。「産直センター潟の店」で○カリスエットを飲んで小休止。しかし、えんえんと続く直線道路で早くもケツが痛くなってくる。

職場での雑談で、「さいきんトンビとか見ないよなぁ」などと話したのだが、大潟村にはいっぱいいたぞ。翼長1.5mくらいはあったので、トンビというよりはタカかワシという感じ。
トンボの大群も見かけた。

途中省略して・・今回の失敗は「時計」を持って行かなかったことだ。
実は、帰宅時刻は17時50分で、4時間20分かかっている。11年前は3時間35分だったので、まさか4時間を大幅に超過するとは考えもしなかった。まあ、トシで体力低下ということもあろうが、時計による速度管理ができていたら、もう少し早く帰宅できたのではないかと・・・(^^;
これは、近いうちにリベンジせねばなるまい・・・



2004 03月28日 そろそろだなぁ〜

情報遅いけど、Team BIANCHI は解散みたい。ウルリッヒは古巣のドイツテレコムへ・・。

それはさておき、そろそろ完全に春めいてきたなぁー・・と、昨日今日と15kmコースを走るも、まだ手がしゃっこいよ。カラダも暖まらないし、まあ、4月に入ったら長距離してみるかぁ。

その2 へつづく bLOG でも書いてます。
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