自身のログデータを見てたら、開局以来、交信データはとりあえず毎年あることがわかった。
まあ、QSO無しの期間(最長9か月程度)も多いのだけれど。
それがきっかけで、JA7KPIの年表を書いてみる気になった。
1960 既にTVがあったが、母親がラジオ東北(現ABS秋田放送)のファンであり、よく聴いていた。 1966 ラジオ(6E5付き中波/短波5球スーパ)の目盛り7で、放送ではない会話が受信可能なことを発見。 1967 いとこのいとこ(JA7CRH)が素人無線やってるということで、見せてもらいに行く。 1968 雑誌「子供の科学」を見て、おもちゃのトランシーバの残骸から練習用モールス発信器を製作。 1969 JARL養成課程講習会電話級短縮コース選抜試験合格。JARL準員。SWL活動。 1970 講習会修了。電話級アマチュア無線技士 免許取得。5月、中学2年生でJA7KPI開局。7/21MHzSSB。 1972 JA7YCR入部。JA7KPK/JA7NJN/JA7UFU/JA7XKQ/JA7XZLらと一緒になる。 1973 50/144MHzにQRV。144MHzのアクティヴィティが高くなる。初の移動運用。7MHz真空管送信機製作。 1974 JA7YCR 144MHzSSBで沖縄とQSO。CQ誌等にとりあげられる。 1975 府中市へ引越。FDコンテストに初参加。 1976 TR-7010で144MHzSSBにQRV。自作8エレ・クロス八木。 1977 市川市へ引越。50MHzSSB/AMにQRV。JA7ZCR/7でもQRV。 1978 Liner6改造のAM変調を褒められ、いい気になるが、144でPreAmp内蔵させると性能出ず、落ち込む。 1979 50MHzが主力となる。ちょっと大きめヘンテナ。50MHzで初の本格的な移動運用。 1981 能代市に戻る。11月、50MHzで北米/南米とQSO。 1983 定職に就き(^^;)、6m高のルーフタワー(50 7el 144自作11el)を上げる。Hヘンテナの実験も継続。 1985 他の趣味(Video)にハマり、さらにBASICもかじり出し、アクティヴィティますます低下。 1988 パソコン(PC9801VX)を入手した翌日から430MHzでパケット通信にQRV。TBITermに感動する。 1989 無線によるパケット通信ネットワークの幹線で転送型BBSを運用。DTM/Midiにもハマる。LOG電子化。 1990 アマチュア無線によるTCP/IP(KA9Q/NOS98)の実験。後のインターネットを垣間見ることができた。 1991 プログラミングにハマってほとんど無線なしだったが、NIFTYでかつてのJA7YCRメンバと再会。 1992 電算関係の仕事に異動。忙しくて国家試験受験できず。自前のLOGデータを変換し、HAMLOGに乗替え。 1993 10月期の第1級アマチュア無線技士国家試験に合格。CWにもぼちぼちQRVし出す。 1994 FDコンテストに復帰(14MHzMix東北1位)し、HFのアクティヴィティ回復。1.9MHzにも初めてQRV。 1995 自作ビーム(Hヘンテナ)でFDコンテスト14MHzMix全国1位。年間総交信数が初めて1,000を超える。 1996 転送型BBS運用停止。JARLコンテスト等へのQRVがメイン。コンテスト外でのQRVはほとんどなし。 1997 以後、無線は50MHzでのコンテストがメイン。仕事で某BSD系UNIXを、自宅でFreeBSDをいじり始める。 2001 オール秋田コンテストで、50MHzのほかに1.9MHzにもQRV。 2002 ドメインZCR.JP(←JA7ZCR)を取得し、自宅サーバ運用開始。 2004 台風15号によるルーフタワー倒壊で、自宅のアンテナシステム全壊。1.9MHz移動運用を始める。 2005 1.9〜1200MHzをほぼ移動オンリィで運用。年間総交信数が2,000に迫る。 2006 1.9〜1200MHzに加え、常置場所から衛星通信を始める。年間総交信数が3,000に迫る。 2007 衛星通信の移動運用も始める。 2008 年間総交信数が4,000を超える。うち、3,500弱が移動運用による交信。