9月30日 JA7CF 新谷先生が亡くなられた。本日は 葬儀であった。
ST管だかGT管一球の発振器の電源には整流管もセレンもダイオードも無く、交流をそのまま印加して自励発振させていた。約100MHzだったと思う。
発振器のコイルは ジャンクとなったTVのダイヤル部分をバラして取り出したもの。検出用ダイオードの入手を頼まれて 当時能代駅前にあった みつまるデパートの柴田模型店で買ったことを思い出す。
科学クラブ顧問のときのコールサインは JA7MCだったが、その後 秋田市での開局時のコールサイン JA7CFに変更され、当方との初交信は 大学の夏休みの帰省時 50MHzであった。
ここ数年は心臓関係のご病気で体が効かなくなっていたようだ。しかし、CQ誌は よく読んでおられたとのことだし、今年になって 局免の再免許申請もなさっていたので 無線に復帰する意思は おありだったはずだ。
しかし・・ 残念ながら 叶わなかった・・
新谷先生、あなたは JA7KPIの師匠です。合掌。
新谷先生は私が能代一中の一年生の時、理科の先生でした。チョークを指でくるくる回しながら授業していたのを思い出します。<br>また、能代クラブで岩舘海岸にキャンプに行った時、先生から自作の7メガトランシーバーを借りたことを思い出します。<br>ご冥福をお祈りいたします。合唱。
木製のショルダーBOXに組み込んだ JA7MCの記載がある 7Mcのトランシーバでした。<br>EJBさんは JA7YCRが免許された年の1年生でしょうか? 能代クラブは そのころ もう存在してたのですね。