アマチュア無線技士講習会

アマチュア無線なるものを知ったのは、小学校4年生のときだ。なんとなくスパイみたいでカッコよかったのである。 (動機なんて、こんなもんよ。・・しかし、スパイなんて死語に近いな・・現在では ハッカー か?)
5年生になって、壊れたおもちゃのトランシーバ(送信は水晶発振、受信は超再生)から部品をとり、「子供の科学」を見てモールス練習機 (ゲルマニウムトランジスタ 2SB56 使用の低周波発振器) を製作。同時に欧文(Alphabet)モールス符号を覚えた。
(大学の電子工学実験で この2SB56が出てきたときは狂喜のあまり電流を流しすぎて始末書を書いた)

中学1年生になって免許を取ることを決め、通信教育(CQアマチュア無線普及会)を受講。
しかし、あまりの難しさ(真空管のgmとかは理解できなかった)と仙台まではるばる受験しに行かなければならないのとでメゲかけていたのである。

そんなとき、秋田県で2回目の電話級アマチュア無線技士養成課程講習会(短縮コース)があることを知る。
5球スーパー改(と、いってもスプレッドバリコンを付けただけ の 真空管式短波ラジオ)で SWL(Short Wave Listener 短波受信)を始めていて、JARLにも入会(準員)していたので、機関紙である「JARL NEWS」から情報を仕入れることができたのである。

某年11月、朝5時台に起きてまだ暗い中を友人2人と秋田市に向かい、選抜試験を受験。残念ながらひとりは選抜を突破することができなかった。(選抜というくらいなので、基本的に「落とす」試験であった)
翌年1月から講習会が始まった。毎週日曜日で5回くらいは通ったような気がする。
会場で、自宅近所の電気店のおじさんと知り合いになり、友人(JA7KPK)ともども2回目以降の講習は車に乗せてもらって秋田市まで行けたのはラッキーだった。(Tnx JA7KRA)
講習会では、工学等の勉強はさておき、2文字コールのOMさん(JA7AB 数字の後が2文字=超大先輩)から実際の無線界の話を聞けることが大きな楽しみでもあった。

修了試験は記述式で、工学/法規とも10問くらいはあっただろうか。(現在は択一式・・なのか?ひょっとして講習だけでOKとか??)
もちろん「ここらへんが出ます」などと教えられることはなく、その後受験した国家試験とまったく同等の試験方法だったが、わりと簡単に問題は解くことができた。

局免は5月。JARLの保証認定番号から逆算してJA7KPFのコールが割り当てられるかな?と思っていたら、実際はKPIで、後になって保証認定を受けずに直接電監に申請した人が3人いたんだな、と納得した。

その後、国家試験で第二級、第一級を取得。1アマ(第一級アマチュア無線技士)を取ったのは開局から20年以上経ってから。
和文(当時は、まだ和文モールスの試験があった・・現在は廃止)は高校時代に符号だけは覚えていたが、実際の交信はほとんど無しというハムライフだったので速度が上がらず、はっきり言って苦労した。(とはいえ、符号は、若いときに「とりあえず」覚えてしまおう!! ← とっても大事)
CW(モールス)でQRV(電波を出す)するようになったのは、はずかしながら1アマ取得後である。


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