また 押井 守ネタである。これは今年の作品だが、もうDVDが出ている。早めに出して製作費を回収しておかないと・・・・(^_^;)
「ミニパト」も見ていたので、あーいう感じかいな・・・と、タカをくくっていたのだが、予想とは違った楽しい動きを見せてくれた。ただし、同じ手は二度と使えない。もちろん、それは押井カントクにのみ課せられるべき条件であり、他の作家によって似た手法の作品が作られることを否定するものではない。
そのせいかどのせいか、本作は、一度見てしまうと、もはや画面を見る必要はないのである。というか、ナレーション/セリフ/SE/音楽のみのラジオドラマ・・いや、これはドラマですらない・・あるいはBGMとして、いつでもどこでも何度でも楽しむことが可能という、極めて特異な作品と位置づけられよう。
ただし、映像的には、夜遅くになってから一人で見るのはお奨めしない。まず、間違いなく途中で眠ってしまう。
かくいうKPIも、最初は寝てしまった。しかし、その後気を取り直し、全編を通してなら3〜4回。あろうことか画面を最小化して音だけなら通して10回以上聴いてしまったのであった。
日本語が破綻しているようにも思えるが、破綻しているというのであれば破綻しているのはこの作品である。もちろん、破綻しているからといってその作品の価値になんらかの問題があるのだという主張に説得力のあろうはずもない。
もう一度書くが、この作品はドラマ的なシークェンスも確かに内包しているものの、ドラマではない。原作だって、いちおう小説ということになっているが、実際はフェイクな民俗学本というか、パロディ学術書というか、いわゆる「偽書」と呼ぶべきものである。
なんか、書いていてとても疲れてしまったので、もうやめよう(^_^;)。けっきょく、この作品が解るつもりなるためには、ある程度トシ喰ってる必要があるのではないか・・・・なんて・・・
さておき、この作品についてはさまざまな評価がなされているが、作品を取りあげている中で興味深い記述のあるサイトがあったので、紹介しておく。